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神戸地方裁判所 昭和28年(ワ)1028号 判決

原告 本田兵吉 外二名

被告 神戸市

主文

被告は、原告本田兵吉、同本田とみに対して各金二十三万円、原告本田秋野に対し金四十六万円をそれぞれ支払わねばならぬ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

この判決は原告本田兵吉同本田とみにおいて各七万円原告本田秋野において十五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は「被告は原告本田兵吉同本田とみに対し各金二十八万円原告本田秋野に対し金五十六万円を支払わねばならない、訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

「原告本田兵吉は、亡本田礼三の実父、原告本田とみはその実母、原告本田秋野はその妻であるが、右礼三は昭和二十五年十一月二日当時工員として雇われていた神戸市長田区浜添通六丁目三番地所在訴外日本鉄罐株式会社の神戸工場において、ドラム罐に空気を注入しその良否の検査作業に従事中同日午后三時頃送気パイプの栓を閉め忘れたため被検罐の破裂による破片又は爆風を下腹部にうけ重傷を蒙り、同日午后四時三十分頃神戸市市立民病院に入院し、当初同病院所属医師飯田実の診察を受けたが、膀胱破裂の疑ありとの診断の下に同部位に冷シツプの医療処置をうけたに止まり、同夜引継の当直医師金沢三枝子からも右と別異の診断及び治療をうけることなく安静加療を続けたが、翌日午后二時頃より下腹部に継続して激痛が起り、翌々四日午前十時頃同病院外科医長訴外中村正雄及び同医師小林稔両名の回診により膓管破裂との診断をうけ、同日正午頃開腹手術が実施されたけれども既に時機を失し右破裂に基く腹膜炎及び全身衰弱のため同日午后二時四十六分頃死亡した。しかして右事故は前記医師等が診療上の注意義務を懈怠したことに基因するものである。

即ち初診担当の飯田医師は患者礼三が罐底又は爆風により腹部に強打を受けた傷因を聴取し、かつその下腹部全般に筋緊張と圧痛の症状を診たのであるからかゝる場合にはたとえ外傷が認められなくとも腸管破裂等の致命的内部受傷がしばしば見られるのであるから、その有無を確知するため速かに開腹手術を施し順次適宣の医療処置を講じて生命の危険を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り漫然と病態を観察するとて単に冷湿布の処置を講じたのみで患者を放置し、仮りに初診当時の症状では右手術の決断をなし得ない状態にあつたとしても、担当医師として絶えず患者の病態に留意し、若し病勢の転移次第では何時でも時機に適した手術をなし得るよう適当な準備措置を講じ且つ当直の金沢医師も右同様終始患者の容態に留意し、主治医との連絡を密にして手術の手遅れによる事故を未然に防止すべき注意義務があるのに右両医師は、これを怠り腸及び腹膜には異常なきものと軽信して患者を放置したものでこれを要するに右医師等の過失行為が共同原因となつて本件事故を惹起せしめたものと謂うべきところ、右市民病院は被告の経営する病院であり、被告の被用者である前記医師等の業務執行上の過失に基く治療上の手遅のため右礼三を死亡するにいたらしめたのであるから、被告は礼三死亡後同人の遺産を法定相続分の割合に応じて相続した原告等に対し、右損害賠償の義務を有する。そしてその損害額の範囲は、本件事故発生当時、礼三は前記会社に雇われ月額金一万円の支給をうけ右金額の五割を生活費として控除した残金五千円が純労務所得であり、且つ同人は当時満三十五年の健康体男子であり、厚生大臣官房統計調査部の第八回生命表によれば、三十五年の男子の余命年数は三〇・六二年であるから、礼三は少くとも三十年の余命があつたものというべく、右純所得額に右期間を乗じた額が本件事故により礼三が蒙つた労働能力喪失による財痛的損害であるが中間利息年五分を控除し、ホフマン式計算法により事故当時における一時払額に換算すれば金七十二万円となる。加うるに原告等は礼三の死亡により親族として絶大な精神上の苦痛を蒙つたので被告は慰藉料の支払義務がありその金額は諸般の事情を考慮して原告本田兵吉、同本田とみには金十万円原告本田秋野には金二十万円が相当である。よつて前記相続分の割合による損害金及び右慰藉料として、被告に対し原告本田兵吉及び同とみは各金二十八万円原告本田秋野は金五十六万円の支払を求めるため本訴に及んだ」

と述べ、被告の抗弁事実を否認した。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、答弁として、

「原告主張事実中原告等がその主張のような親族関係にある本田礼三が原告主張の日時、場所で製罐の空気注入による良否検査作業中の爆発事故に困り受傷したと訴えて、同日午後四時三十分頃被告の経営に係る市民病院に来院し、同病院外科医師飯田実の診察を受け、膀胱破裂の疑の下に入院し、且つ原告等主張の日時その主張の如き病因で死亡したことはそれぞれこれを認めるが、その余の事実、特に飯田、金沢両医師に診療業務上過失があつたとの原告主張事実は争う。即ち、飯田医師は初診の結果礼三が脈膊は八十で整調、左鼠蹊部に腫脹並に皮下溢血を認めたが、悪心、嘔吐、血尿ともになく未だ腹膜炎の徴候が認められなかつたので一応膀胱破裂の疑いをもつて注射冷罨法を施し、同日引継の当直医師金沢の協力の下に翌朝まで四時間おきに注射を施用し、その間十一月二日午后六時頃に金沢医師が、同日午后十時頃飯田医師が、それぞれ回診してその病態に注意し、何時でも臨機の処置をとりうるように用意していたのであるが、病状に何の異変もなく、同月四日に至り、初めてブルムベルグ氏症状が認められたので腹膜炎と診断され、開腹手術が実施されたのであるから、右両医師には過失はない。外科医師として本件の初診所見のような場合には開腹して内部を見診することは開腹手術自体が患者の生命に危険なものであるから軽々にそれを試みるべきではない。

仮りに礼三の死亡が右医師等の過失による治療の遅延に基くものであるとしても被告は右医師等の選任及び事業の監督につき充分なる配慮を払つていたから、賠償責任を有しない。

仮に損害賠償責任があるとしてもその損害額を争う。」

と述べた。〈立証省略〉

理由

訴外亡本田礼三が昭和二十五年十一月二日午后三時頃当時動務していた日本鉄罐株式会社神戸工場においてドラム罐の送気検査作業中、被検罐の破裂による爆発事故で下腹部に強打を受けて同部に負傷し、そのことを訴えて同日午后四時三十分頃、被告経営に係る神戸市民病院に来院し同病院外科医師飯田実の診察を受け、膀胱破裂の疑の診断の下に入院し局部に冷罨法を施し安静治療を受け同月四日正午頃同病院において外医長中村正雄及び医師小林稔の開腹手術をうけたが、腸管破裂に基く腹膜炎及び全身衰弱のため死亡したことは、当事者間に争いがない。

そこで成立に争いのない甲第二号証の一及び二、証人飯田実、金沢三枝子、小林稔、中村正雄の証言及び原告本田秋野本人尋問の結果を綜合すれば、市民病院に来院直後、礼三は前認定の如く外科医師飯田実の診察をうけた結果、心臓部の心音、呼吸、脈膊ともに異常なく、顔色やや蒼白、強度の苦悶状を呈し外傷部位は左鼠蹊部より大腿部内側に亘り皮下出血あり、悪心及び下腹部に圧痛の自覚症状あり、腹部全体に軽度の筋緊張等の症状が表われていたが、同医師は前記診断の下に医療処置を施させると同時に、リンゲル五百cc注射を施したこと、更に同日午后六時四十五分頃当直の内科医師金沢三枝子が診察し依然病状に変化がないとして、タカムルチン二cc皮下注射を実施したこと、続いて同日午后十時頃飯田医師が二度目の回診の際に、導尿採血して検査の結果、血尿なく且つ白血球の量は一万六千(健康人の場合は通常六千より八千程度)と急激に倍加していたことが判明し膀胱破裂でないことが確実になつたこと、これに代つて飯田医師は腸管破裂の疑を抱くに至つたが未だ開腹手術の時機は尚早であるとして病勢の転移を観察するよう右金沢医師に引継を了して帰宅したこと、同医師も症状の変化を認めず前記鎮静剤の注射を約四時間おきに施用したに止まり翌朝交替医師小林稔に引継を了するまで他に何等の医療処置を講じなかつたことが認められ、右認定を左右するに足る的確な証拠は存しない。

そこで進んで右に認定した礼三の症状及び同人に対する診療措置に鑑み、前記医師両名に診療上注意義務の懈怠があつたかどうかにつき判断するに前示争いのない事実及び右認定の事実と証人飲田実、金沢三枝子、中村正雄の証言並に鑑定人堀浩、同中村正雄の各鑑定の結果を綜合すれば、凡そ本件の如く下腹部に強打を受けて負傷した患者が下腹部に圧痛を感じ、悪心の自覚症状があつて且つ腹部全体に亘り筋緊張のある場合は、それを推断するに足る外傷はなくとも、普通外科医としては腸管破裂の疑はもつべく、これに基く腹膜炎は病因発生時から三時間乃至八時間を経過すれば治療の時機を失し致命症となる可能性が極めて大きいこと、腸管破裂は外部からの診断がつきにくく開腹して直接見診する以外に確定的早期診断の方法がないこと、その設備が完備し手術に疎漏がなければ開腹手術は患者の生命に危険を与える蓋然性は極めて少いこと、市民病院には外科的設備が比較的完備していて、当時外科医としての臨床経験豊かな中村正雄が外科部長として配置され、重難症で医員の独断専行が危まれるような場合には何時でも同人に連絡してその協力指示を求めうるようになつていたこと、が認められる。本件の場合飯田医師は前記のような診断上の難症に立会つたのであるから、直ちに外科部長に連絡してその協力指示を得、診療上の過誤なきを期するのが臨床上至当であつたと思料されるが、一歩を譲つて一般の外科医としては、かかる場合一応患者の症状経過を見るのが通常であるとしても、同日午後十時頃には同医師が主要病症と診察していた膀胱破裂の疑は全くないことが判明し、従つて筋緊張や下腹部の疼圧痛は右病症に因るものではないことが明白となつた上に、腹膜炎症状の一である白血球の倍増が見られ、前記病因と症状とを併せ考察すれば、腸管破裂による腹膜炎の疑が一段と濃厚となつたのみならず、この時は若し前記病因により腹膜炎が起きているとすれば、開腹治療を施すべき限界時に迫つていたこと敍上認定により明白であるから、この時に至つては飯田医師は最早遅疑逡巡すべきでなく、自ら開腹手術を断行するか、或いは外科医長に遅滞なくその旨を報告してその指示又は直接診断を求めて開腹手術による適正治療の実効を期するか、そうすることに支障があつたなれば患者をして他に手術に必要な人的物的設備の完備せる病院に移らしめる等臨機応変の処置を採るべき診療上の注意義務があるのに、飯田医師はこれを怠り、前記認定の如く漫然と初診及び再診の結果、単に冷湿布と注射の施用したのみで病態観察ということで、外科的判断に疎かるべき当直の内科医金沢医師に引続いで帰宅し、金沢医師をして右飯田医師の指示引継通り患者の症状観察に終始し、適宣の処置を講ぜしめなかつたのであるが、礼三が入院当日中に開腹施療を受けていたとすれば一命を取り止め得る可能性は十分あつたこと鑑定証人中村正雄の鑑定の結果と証言により明かであるから、同人は結局右飯田医師が本件診療に際し業務上の注意義務を懈怠し、礼三に対する開腹施療の時機を失した結果死亡したものと断ずる外はない。

ところで前記飯田医師は、被告の経営する神戸市立市民病院に所属しその診療業務の執行に従事したものであることは証人飯田実の証言により明白で被告はこの点に関し、被用者である右医師の選任監督につき相当の注意をしたので前記過失行為については責任がない旨抗争するけれども、これを肯認するに足る的確な証拠は存しないので、この主張は採用できない。従つて被告は右使用者として前記不法行為に基く損害賠償の義務を有することは明らかである。

そこで損害額の範囲について考察するに、証人藤田武及び原告秋野本人の供述によれば、礼三は本件事故発生当時日本鉄罐株式会社の工員として月額実収入金一万円を受給し、且つ当時満三十五年の健康体の男子であつたことが認められ、その将来の余命年数は厚生大臣官房統計調査部の第八回生命表により三十年以上であることは被告の明かに争わないものと認めるので、右期間内礼三が就労し得たものと推定され、同人の前記社会的地位及び物価水準ならびに生活上の社会通念に鑑み考察すれば、同人の労働力再生産に必要な生活費を金五千円と見積つても過少とは認められないから右金員を前記実収入額より控除し、更にその残額より中間利息年五分をホフマン式計算方法によつて差引し事故当時の一時払額に換算集計すればその額が金七十二万円になることは計数上明白である。しかして原告等がそれぞれ礼三と実父母及び配偶者の関係にあることは当事者間に争いがないので、右礼三の死亡により法定相続分の割合に応じて、妻である原告本田秋野は二分の一、実父母である原告両名は各四分の一の割合により右損害賠償債権を相続により承継したものというべきである。

次に慰藉料の点につき按ずるに、原告等が前記身分関係にある礼三の死亡により精神上被る苦痛を慰藉すべく、被告はこれが賠償の責に任じなければならないが、前示認定の如き礼三の社会的地位、同人と原告等の各身分関係その他本件口頭弁論に現れた諸般の事情を参酌して、原告本田兵吉、同本田とみに対しては金五万円、原告本田秋野に対しては金十万円を相当と認める。

そこで、被告は原告本田兵吉同本田とみに対しては各金二十三万円、原告本田秋野に対しては金四十六万円の損害賠償義務を負うものである。

よつて原告の請求は右限度において正当であるが、これを超過する部分は失当であるから棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条但書を仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石井末一 山本久己 大西一夫)

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